Midnight mumbles(draft)

怪我ストーン。

「へえ、めずらし!」
 俺は思わず大きな声をあげてしまった。時計を見れば夜中の三時、慌てて口を押さえたが、あたりはシンと静まり返ったままだ。
 今日は島の反対側までサーフィンに行って、その後地元の奴らと飲みまくってすっかり遅くなってしまった。親切な奴が送ってきてくれたが、兄貴と一緒に住んでいると言ったら妙な顔して、帰って行った。住んでいるなんて言わなきゃ良かったかな、そうだな、間借りとか、そういう方が自然だったかもしれない。
 ともかく、今は深夜三時だ。余程の夜遊び好きでもなければ、ここはハワイだ二十四時間動いている店もオフィスも工場もない。たいていの人間は寝ている時間だし、そのうちの大半が自分のベッドに入っているはずの時間だ。
「ストーン……?」
 しかし今日のストーンは違っていた。何というか、行き倒れと言えばいいのか、ベッドの上にたどりつくことも出来なかった、のかベッドに片手だけを預けているだけだ。体は床の上、士官服のまま、それも酷く汚れている。真っ白なそれが台無しだ。
 なんだこれ。
 ワイン?ビール?
 きったねえなあ、もう。
「兄貴?ストーン?」
 肩を思いきり揺すって見るが、呻き声が帰ってくるだけだ。眉間に刻まれた深い皺もいつもよりずっと深いし、何よりも俺の呼び掛けに返事をしないのがまずありえない。関わりたくない時ですら、がみがみ追いかけてくるぐらいなのに。
「寝てるのか?」
 ヘーイ、ストーン?
 どうしたんだよ、飲み過ぎか?と思ったけど、酒のにおい一つしない。ベッドで寝ろよ、と声をかけてもびくともしない。俺は大きなため息をついてベッドに腰掛けた。ベッドに伸ばされた格好の大きな手をめくってみるが、力はない。俺もこのぐらい大きな手だったら良かったのに、といつも思っていた。
 何となくそのまま手を握りながら、ぼんやりとしていたが眠くならない。俺の方こそ、飲み過ぎのせいか、アドレナリンだとか言うやつの仕業か知らないが、このまま放っておいてはいけないような気がする。何しろストーンのこんなザマを見たのが初めてだったから。
 左手でモバイルを触って海軍にいるストーンと自分の共通の知り合いにテキストを送ってみる。
 何度か手を強く握ってはみるが、反応はない。いつも通り、熱いのに乾いた手の平だ。
「……?!」
 返事はすぐに来た。
「マジか……!?」
 そこには明らかに信じがたい言葉が羅列してあった。生真面目で、何よりも規律と規則を重んじる海軍士官の鑑のような男がバーで大暴れだって?
 それも、止めに入った部下すら今病院で手当てしているということなのだ。この時間に送ったテキストに即返信があったということは、真実なのだろう。
 もしかしたらストーンも病院に行った方が良いかもしれない、と書かれているが目立った傷のようなものは見当たらないし、握っている手から伝わってくる脈は安定している気がする。
「何があったんだよ、ストーン……」
「……うぅ……」
 また、呻き声だ。
 寝てるんじゃなくて気を失っていたのか?と、俺は少しの焦りを覚え、ベッドを降りてストーンの体を起こす。
「なんだよ、これ……!」
 電気をつけて、改めて確認してみると、目の周りに痣だか内出血で腫れていて、あごのあたりも痣のようになっている。歯が全部あるのかが心配になるほどだ、唇の端も切れていたし。
「ストーン、スト−ン!肋骨も折れてるじゃないか、起きろって!」
 四苦八苦しながら服を脱がした俺は、オーマイ、と思わず目を逸らした。自分なら気にしないが、人の怪我っていうのは目の当たりにすると、結構、エグいな。
 たぶん食べたものも全部吐いたんだろうな、と一目でわかる。やっぱり病院だ、と俺はストーンの頬を(痛くなさそうなところを狙って)指先で叩いた。
 吐いたものが喉に詰まって、なんて間抜けは止めてくれよ、ストーン。俺はそんな秘密を抱えるのはまっぴらごめんなんだから。
「……アレックス……?」
 うっすらと開いた目はすぐに閉じる。それから、もう一度目が開くまで数秒かかった。
 しかし、その目が俺に焦点が合った瞬間の台詞が、これだ。
「アレックス、……どうした?何が……あったのか?大丈夫か?」
 大丈夫って誰が?俺が?何言ってんだよ。と喚くよりも前にさっきまで握っていた手が俺の顔に添えられる。それから壊れものを触るように指が輪郭をたどっていく。
 まったく、まったく!
 それで俺はすぐにほとんどを理解することが出来た。正直な感想は「ああ、またか……」だったりするのだけれど、俺は顔を歪めないようにしながら、ベストだと思う答えを出した。
「大丈夫、俺はオーケイだよ」
 俺だってストーンが小言やお説教を言ってなければ、かわいい弟らしくいられる。こういう風に純粋に心配してくれている時は特に。
 滅多にないけどな。
「何ともないか?」
「ああ、何ともない」
「……そうか、良かった……」
 彼が今日行ったらしいバーは昔俺が働いていたところだ。当時の俺はあまり真面目な態度で働いていたとは言い難いし、辞め方もよくなかった、はずだ。まあ、だいたいどこの職場でも、そんな感じだからはっきり覚えてはいないのだけれど、たぶんその関係で何か言われたのだろう、とは思うのだ。
 だからってこんな風になるまでの大喧嘩をしなければならない理由があるとは思えない。
 うーん。
「ストーンは?」
「かすり傷さ……」
「だといいけど」
 病院につれて行かなければならないのはわかっている。でもストーンが「かすり傷」だと言っている以上、これで終わりだ。もう一度腹でも殴って気絶させない限り、彼はイエスとは言わない。しかし、このままではあまりにあまりだ。
「アレックス、おまえは……俺が守ってやるからな……」
「サンクス……」
 絶対にだぞ、と念を押す声は喉が鳴らなかった。頬を撫でていた手が脱力するのを受け止めて、俺は長いため息をついた。
「……知ってるよ、ストーン」
 嫌っていうほどな……、とため息をついた俺はストーンの体をどうにかベッドの上に引っ張りあげた。ブランケットを掛けて、ぐしゃぐしゃになったブロンドを指先でなでつけてやる。あとで全部自分で洗濯してくれよ?
「痛み止めの飲みすぎだ……」
 素面だったら言うはずないし、と俺は肩をすくめてシャワーを浴びることにした。少しだけ寝たら、朝一番に病院に放り込んでやる。
 謹慎処分?
 たまには食らってみたら俺の気持ちがわかるかもよ。

   ***   ***   ***

「……っ」
「……やせ我慢しなくていいと思うけど?」
 ストーンは起きてからずっと青い顔で脂汗を額に浮かべて歯を食いしばっている。何人かに電話をかけて、謝罪をしたり報告をしたりしているが、一度も俺の話題は出てきていない。
「……別に、これぐらい……」
「陸軍や海兵隊ならそれも笑えるジョークなのかもしれないけど、あんたは士官樣なんだから無茶すんなよ」
「……」
 別に、無茶なんか。
 それを口にしなかったストーンだったが、顔に書いてある。珍しく俺の方が会話で優位に立っていたものだから、ついニヤニヤと笑ってしまう。人の不幸を笑うつもりはないんだけど、ストーンの眉間の皺が一層深くなった。でも、ストーンは何の文句も恩着せがましい何かも言うつもりはないらしい。
 おまえのために喧嘩をした、とも。
 おまえがいい加減だからこんなことになる、とも。
 何も。
「俺のせい?」
 だから、聞いてやったんだよ。憂さを晴らすために怒鳴ってくれたっていい。いつもぎゃんぎゃん怒鳴っているじゃないか、仕事をしろだとか、ちゃんと起きろだとか。そういう調子でさ。
「まさか」
 しかし、ストーンは迷いもせず、そう言い切った。だけれど、それは俺の調査(というか、愚痴を聞かされただけだけど)結果とは違う。
「……ストーン?」
「おまえのせいなら、先におまえを叱ってる。そうだろ?」
「まあ、そうかも……」
 納得しているわけではない。本当は、そのバーで俺の話題が出て、少しばかり下品な言い回しで、侮辱されたらしいということも知っているし、具体的に何と言われたかも聞いている。まあ、面と向かって言われていれば、俺だって殴りかかっただろうけど、けどさ?
 艦長殿。
 あんたは駄目だろ。
「……大丈夫だ」
「へいへい、説得力ゼロだけどそういうことにしといてやるよ」
 ストーンは小さく頷いて、それから小さく呻いた。
「本当に病院行かなくていいの?」
「ああ、大丈夫だ」
「謹慎は?」
「三日」
「マジ?」
「日頃の行いがいいからな」
 なるほど、相手の暴言があそこまで酷いと色々と情状酌量になるんだな、と判断した俺はストーンの顔から視線を外す。
 すると、向こうの方がこちらを凝視してくるから、不思議だ。
 もう、最近はじっと目を合わせることなんてほとんどないのに、視線は感じるのだから。
「俺は、何したら良い?」
 むこうを向いたまま、ぽつりとこぼした俺にストーンは深く息をつき、それから何かを言いかけて、黙って、もう一回息を吐いた。
「今日の仕事は……?」
「オフにしてもらった」
「……そうか」
 軍人の兄が大けがをして、と言えばたいてい休みになるんだから、そんなすまなそうな顔するなって。そ、横目で見てるの、わかってるだろ?
「……そうだな、話し相手にでもなってもらおうかな」
「オーケイ」
 ろくにおしゃべりができる状態でもないくせに強がっちゃって。でも、一応、騎士道精神には報いてやらないとね。
 俺がプリンセスとかいうわけじゃないけど。
「……アレックス」
 でも、ストーンの目はたまに、そう言ってる。
 今も、そう。
「ん?」
「いや、なんでもない。悪いな、面倒かけて」
「いーよ、別に」
 その百倍は面倒かけてるし、と呟いた俺は昨日意識のないストーンにそうしていたように、ストーンの手を握った。元よりおしゃべりというわけではないのだ、お互いに。俺は余計なことしか言わないし。
 ストーンはしばらく緊張を見せていたけれど、やがて手に力がこもる。この手で何人を病院送りにしたのか知らないけど、この方がよほど有意義な使い方だと思う。

 三日間ずっとはさすがに飽きるけどな!
 

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