Fake Blonde

既刊の設定とも以前書いたSSの設定とも違います。

 ニューヨークはそれほど得意な街ではない、とは前から思っていた。そうでなければショービズ界に身を置きながら、長く続いたドラマの撮影で慣れ親しんだとは言え、オースティンに住み続けることなかったろう。
 その苦手意識を態度や口に出したことはないが、ニューヨークは夢を抱いて故郷を後にした若い頃、最初に住んだ街だからなのだと思う。きらびやかで、眩しくて、それでいて暗くて、複雑な街だ。今もまっすぐな眼差しで見ることは、あまりない。トラウマなどではないけれど、苦さを思い出すと表情が固くなる、そんな時もあったりするのだ。
 テイラー・キッチュは撮影のために長滞在することになったニューヨークに対してそんな印象を抱いていたのだけれど、当然、それを誰にいうこともないまま過ごしていた。
 今回の作品の撮影はエキサイティングでエモーショナル、毎日違う何かに生まれ変われたような気持ちになるのだから相当興奮しているのだと思う。スタッフと共演者との関係も良く、ニューヨークの印象もこれを期に変わりそうだ、なんてことも考えはじめていたそんな時だった。
 アレクサンダー・スカルスガルドからのボイスメールが三件、残されていたのは。
 無言が2件、1件には「時間を作ってくれ」という一言だけが吹き込まれていて、その声を聞くだけで彼がすこぶる不機嫌であるということと、時間を作らなかったらきっと大変なことになるだろうという予測がついた。彼は大家族の長男のわりにかなり我が侭というか構われたがりだといつも思っていたが、直接それを伝えたことはない。
 ハワイでの撮影の間に、ある意味で今までの共演者の誰よりも「親しく」なったのだけれど、ほかの友人たちと同じようにテキストをやりとりしたり、一緒にホッケーの試合を見に行ったり、食事に行くこともない。電話は彼から一方的に寄越してくるが、こちらからすることは折り返しの連絡ぐらいだ。彼がそれに不満を言うことはなかったものだから気にしないでいたけれど、もしかしたらずっと溜め込んでいたのかもしれない。
「……えっと」
 少し、気が重いなと思いながらテイラーは関係者の数人に頭を下げて、どうにか夜遅くにだけれどアレクサンダーに会う時間を作り、彼の指定したホテル(にぎやかなクラブからつながる若者に人気のホテルだ、気取ってはいないが入りやすい)(雰囲気は得意ではないが)に向かった。
 しかし、出迎えたアレクサンダーは一言も話そうとしないのだ。いつもの冷たく見える整った顔でまったくの無表情、ソファーに腰かけたままぴくりとも動かない。彼を撮影するカメラマンは楽だな、と思いながらテイラーはため息をついた。
 やあ、とか、久しぶり、とか、通り一遍の挨拶も口にしてみたが効果はない。
「……アレク……、あのさ」
 ただ、一つ。
 心当たりがあるとすれば、たぶん、この金髪が問題なのだ。彼は前の撮影中「役のため」長く伸ばした髪を切った時ですら不満顔していたし、北欧の人間だからブルネットが珍しいのか、やけに気に入っていたのもあるだろう。テイラーはセットが甘くなり落ちてきた前髪をかき上げるようにした後で、伺うように切り出した。
「……これが、気に入らないの?」
 似合っているかどうかは自分で判断するものではないが、スタジオではおおむね好評だった。指先でその明るいブロンドを摘んで見せるが、アレクサンダーの表情は変わらない。
 その、それから。
 はあ……、とテイラーはもう一度重い息を吐く、あの時、何でそんなことになったのか正直言えば、よくわからない。流されたというのが正解かもしれないけれど、たいした抵抗なく彼とセックスして、その時から演技以外でキスを交わしたり、服を脱いで一つのベッドの入るのもアレクサンダーとだけになった。彼の方がどうだかは知らないけれど、この通り、独占欲だけは人並み以上だ。
 今日のところはどうやらキスをする気もないらしい。
 とは言え、テイラーがそれをねだったことは今までなかったと思う。
 ただ今まで、ドアが閉まるまでアレクサンダーがキスを仕掛けないでいられなかったことなどなかったから居心地が悪いだけだ。
(役作りなんて何でもあるだろうに……ものすごく太ったり、痩せたりさ……)
「飲みにでも行く?ほら、下でも……いいし、別の店でも、最上階にもバーがあるって……」
 入る時に案内されたけど、と続けてもアレクサンダーはそのままだ。声すら届いているかもわからないぐらいだ。気に入らないことがあれば口に出して言えばいいと思うし、こっちが納得しなくても大声で言い合えばたいていどうでもよくなる。男同士だ、軽く殴り合うというのもありだと思ったが、アレクサンダーはそういうコミュニケーションの取り方をしないらしかった。兄弟が多いわりに繊細に育ったのだろうか?
「……もういい……」
 結局、それほど気の長くないテイラーは懐柔を諦めた。だいたいなんでこちらが気を使わなければいけないのか、わからない。理由もわからないし、解決策も見つからない。
 俺も一人が好きだし、と少し離れたところにあったベッドに転がったテイラーは目を閉じる。撮影後はたとえアクションがなくてもひどく疲れるものだ。食事もとらずに駆けつけたのに、と恨みがましい気持ちにもなる。
 なんだかまたニューヨークが苦手になりそうだ、と思いながらそのままでいると、アレクサンダーが動く気配を感じた。しかし、こちらに近寄ってくる様子はなく、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「何なんだよ、まったく!」
 こんなことなら撮影終わって髪の色を戻してから会えば良かった、と大声で喚いたところでアレクサンダーに届くわけもない。下の階の賑やかしい店に行く気もならないからふて寝をするしかない。苛立ちに任せて帰ってしまっても良かったが、朝までは待っていてやろうと思うのは、たぶん、まだキスがないからだ。二度と会わないにしても後味が悪いのは勘弁だ。人間関係でもめるのはダメージを引きずってしまうものだから。
 それからどれくらいの時間が経ったろうか、二時間?
 それとも実際は十分、二十分ぐらいのことだったのだろうか。ともかく、アレクサンダーが部屋に戻ってきた。がさごそ音を立てているのはケータリングかデリの袋が触れ合う音だろう。
 それなら、最初から用意しておけよな、と思わないまでもないがとりあえずたぬき寝入りを決め込むことにした。様子次第ではここで「絶交」なんてこともありえる。二度目の共演でもなければ、それはたやすく出来ることだ。
 付き合いを続けるよりもずっと。
「……」
 ややあって悲しい気配が近づいてくるのがわかった。それから背中側のベッドが沈み込み、ぴったりと体を寄せられた。北欧の男は体温が高いんだな、と一度ジョークのつもりで口にしたことがあったがその時は大変なことになった。アイスホッケーの試合で知り合った連中のことだと何度説明しても一週間ほどぴたりとくっついて側を離れたがらなくて大汗をかいた。
 今日も彼の体は熱い。
 それから至近距離でじっとこちらの顔を見つめているのもわかる。それから息を止めているということも。
「ヘイ……」
 テイラーは仕方なしに目を閉じたまま声をかけ、そのまま足を片方前に出す。いつもそうするように促されるし、その後必ず彼は長い足を絡めてくるからだ。
 しかし、アレクサンダーはそうしなかった。かすかな息を漏らし、こちらの項に鼻先をこすりつけただけだ。これはだいぶ参っているな、といくら自分が鈍感でもわかることだ。
「アレク……?」
「ん……」
 それでもやはりキスをするつもりはないらしい、頭や首、肩口に頬や鼻をすりつけるだけだ。そう、髪にも触っている。
 金髪が嫌いなわけではないんだな、とテイラーはようやく合点が行った。ぱちりと目を開けて、体の向きを変える。目の前にアレキサンダーの無表情が現れ、思わず吹き出した。自分が昨日死んで化けて出た幽霊になったような気分になる。
 ヘイ、ブラザー。俺はここにいるぜ?
「話してなかったな……、髪の色、抜いたってことさ……」
「……」
 うなずくかわりに頬ずりだ。こんな至近距離にいてキスをしなかったことなど、なかった男が。
「……悪かった」
 こちらから連絡を入れようとはしなかったこと、キスもセックスもしていながら、何らかの言葉を口にしたこともないこと。冗談のようにですら、好意を肯定することを言ったことはない。一度もだ。
 いくらなんでも不安になるだろう。ようやく気付いたよ、ごめんな?
「LAから来てくれたんだろ?」
 今はこんなアレクサンダーだけれど普段はよく笑うし、しゃべる。しかし自分は愛想もいまいちだし、口下手だ。こんな時に何を言えば、(一応のところ、たぶん、そうなんだろうな、うん)恋人の機嫌を直してやれるかがわからない。これ以上無言で頷くしかしないアレクサンダーの顔を見るのもつらい。わざわざ会いに来てくれたのだから、感謝の気持ちも伝えたいのだけれど。
「……黒髪の方が……好きなんだろ?」
 アレクサンダーはこくり、と深く頷いた。
「戻したら、また会いに来てくれる……?」
 うん、とまた一つ頷く。まばたきも三回。
 ああ、もう。
「その時は電話するから、な?……機嫌直してくれると……嬉しいんだけど……」
 ええい。
 仕方がない、とテイラーは一呼吸置いてアレキサンダーの頬にキスをする。幼い音を立てたキスで何の効果があるのかはわからないけれど、多分これが初めてのこちらからのキスだ。酔っている時と最中のあれこれを除いて。
 そりゃ、気も滅入るよな。
 彼はもしかするとすごい紳士なのかもしれない。俺なら不貞腐れて山にこもる、とテイラーはくすくす笑いながらもう一度、今度は唇に自分のそれを押し当てた。
「テイ……」
「……ヘイ……、アレク……」
 会いたかった。
 愛してる。
 かわいい俺のうさぎちゃん。
 彼が何度も繰り返すので覚えてしまったスウェーデン語だ。意味をほかの人に聞かなくて良かったと思っているけれど、すっかり慣れた今となってはこれがなきゃ始まらない気さえしてくるから不思議だ。うさぎちゃん、なんて甘やかしたがりの母親にだって言われたことないけれど。
「……うん」
 俺も。
 テイラーは小さく呟いて、いつものキスをねだるように唇を少しだけ尖らせた。それは紳士の本能をたたき起こすには過不足なく、最も適した手段だったようで、ぐるると唸り声が聞こえたかと思うと、あっという間にテイラーはその体を長い手足によって支配されることになった。

   ***   ***   ***

「ブロンドだと俺とおそろいだ」
 だからそれでもいい気がする。色々満たされた後のアレクサンダーは急に饒舌になって、買ってきたデリを食べながら語り始めた。
「はい、あーん」
 それから、すっかり腰が立たなくてベッドにすべてを預けたままのテイラーにもスプーンやフォークで口元まで食べ物を差し出し、かいがいしくお世話をするつもりらしい。食欲にまで手が回らないぐらいのだるさが体を支配していたが、せっかくご機嫌になってくれた彼を悲しませるわけにも行かず、もぐもぐと口を動かしながらテイラーはこくりと頷いた。
「伸ばす?」
「たぶん」
 それだけの言葉で嬉しそうに口元をゆるめたアレクサンダーは生え際にまるでおまじないでもするようにキスをした。今度撮影で大きく髪型を変える時には必ず連絡しないと、とテイラーはぼんやり考えながら、彼の世話にすべて任せることにした。
「同業で良かったよ。俺が大工だったら耐えられないかも知れない……」
 その、ほら、キスとかさ。
 するだろ?
 指先で頬を突きながらの台詞は、色々台無しにしたので(だいたいなんで大工なんだ!)、テイラーはあきれ顔を返し彼の手を軽く払った。何を今更、のジェラシーに「よく言うよ」以外の言葉がない、ように思ったが。
「……アレクがたくさんすればいいだろ……」
 色々テイラー自身も反省すべきところは多かったので、少しむっとしたように頬を脹らませながらそう言って、そのマカロニチーズ、おかわりというように口を開いた。
 しかし、当然というか、何というか。
 タイミングが良すぎたため。
「んー……、ん、ん!」
 マカロニチーズのかわりに口の中に入ってきたのは、ご機嫌なダーリンの舌だったりしたので、また食事はしばらくお預けになってしまった。
 まあ、今日のところは、これでいいか。
 食事制限もしていることだし。
 テイラーは腰のだるさには目をつむり、空いている両腕をアレクサンダーの背中に回して、ゆっくりと目を閉じた。
 撮影前に氷で冷やせば、唇の腫れはごまかせるだろうから。

 
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それはそれ、これはこれです。
あと、うさぎちゃんと言うより猫ちゃんだと思ってるんですけど、
アレクの好みがうさ耳キッチュなんだなーって
私が、
勝手に、
言いがかりをつけた結果がこれです!

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