同居AU 05

 日課のランニングから汗だくで戻ったテイラーはすぐにバスルームに向かうつもりだったが、人のいる気配がしたので顔を覗かせた。

 ソファにも座らず、ただその場に立ち尽くしている長身の男は無視をしようにも難しい存在感だ。わからないように小さくため息をついたテイラーは、何ごともなかったように、今までと同じ声のトーンを頭の中で思い描きながら話しかけることにした。
「どうした?」
 おはよう、アレク。
 その声に彼は表情も変えず、視線も合わせず、そのままの格好でぽつりと呟く。
「……出ていったのかと」
「俺はそんなに薄情じゃない」
 鈍感かもしれないし、お調子者かもしれないけれど。言い訳をするならアレクサンダーを傷付ける気もなかった。こんな風に壊れた人形のようになってしまうなんて、想像もしなかった。
「なあ、アレク……俺の話を聞いてくれるか?」
 一時間だけでいいから、とたたみかけるとアレクサンダーは小さく頷き、風邪を引くからシャワーを浴びてから、とやはりどこを見ているのかわからない格好のまま言うので、テイラーは仕方なしに了解するしかなかった。
 十分も経たずに居間に戻ると、彼はソファの端に腰を下ろしていて、テーブルの上には大きなマグカップが置いてあった。俺の分は、とテイラーが声に出す前にキッチンカウンターに冷たい水(レモン入りだ)と、マグに入ったカフェラテが用意されているのに気がつく。
 本調子が出てきたのかどうかはわからないが、お互いの間に一定以上の距離ができたことを知るには十分だった。
 テイラーは今度はおさえることなくため息をつき、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。これがプライベートでは最後の会話になるかもしれないのだ、取り繕ってばかりはいられない。
 しかし、カウンターとソファではさすがに「距離」がありすぎる。
 テイラーは拒まれない限りは強気で行こうと水を一気に飲み干すと、マグカップを持ってソファのもう一方の端にどっかと腰を下ろした。
「俺は正直なところ、どうしたらいいのかわかってないんだ」
 そう言ってテイラーはゆるく頭を振った。アレクサンダーは相づちを返すことはなかったが、ここではないどこかを見ているような視線は、こちらに向けられている。
 ようこそ、地球へ。
 聞こえますか?
「保険が下りたんだ。だから、すぐにでも出て行くことはできる……。でも、このままアレクとの縁が切れるのは嫌だな……って思う」
 同僚と友人の関係性はけして等しくない。
 友人と恋人とではもっと違う。成り立ちは似ていても、まるで別ものだ。お互いに要求するものや形、すべてが違う。
 その前提はわかっているけれど、テイラー自身、自分がどう思っているのか、どうしたいと願っているのか、わからないのだ。
 ただ、今は。
 かなり、不機嫌だ。
「もし、俺より困っている奴が現れて、そいつと交代ってなるのは面白くないな、と思う」
 思う。
 あまりに人ごとに聞こえて白々しく思われただろうか。そこで一度言葉を切ったテイラーは顔をアレクサンダーの方に向け、カフェラテを一口含んだ。甘さは完璧、バニラとヘーゼルのシロップのブレンドだ。
 これが一番好きなにおいなんだ、ということをアレクサンダーはいつの間にか知っていた。一緒にカフェに行ったことなんて一度もないのに。
「……誰にでもすることじゃない……」
 掠れた声の後の舌打ち、どうやらアレクサンダーもようやく本音を聞かせてくれるようだ。どちらからともなくにらみ合うような格好になったが、テイラーはここでうやむやにしてしまう気はなかった。
「じゃあ、何で俺なんだよ」
 そう長くもない人生で一目惚れをされるというシチュエーションは、初めてではない。ルックスは元より悪くはないほうで、テイラーもある程度は自覚があった。だから、こんな事態になってしまっているのだが、今までのことを言えば「しくじった」ことはなかった。
 それに一目惚れというのは、ピークから始まって後は下り坂だ、と相場が決まっている。だいたいが勝手に熱が冷めてしまい、離れていくのが常だった。
 だから、どこかで甘く見ていたのだろう。一緒に住みはじめれば、火事のごたごたが落ち着く頃には追い出したくなっているだろう、ぐらいに。
 そして以前よりドライな仕事上の「付き合い」に収まるだろう、と。
 しかし、アレクサンダーはあまりに完璧に振る舞ってくれたものだから、おかしくなってしまった。
「……俺の気持ちを知っていながら、利用しようとしたからだ」
 その通り、図星を指されたテイラーはぐっと口を噤んだ。しかし、アレクサンダーの表情は苦笑交じり、どちらかと言えば自嘲めいたものだった。こちらを責めようという意図は感じられなかった。
 それに、一目惚れ、の理由としてはどうかしている。
「愛が重いんだよ……俺は……」
 ふと気付くとアレクサンダーの話し方が今までのそれよりずっとぞんざいになっていることに気がついた。髪を何度かかき上げたのか、乱れているのも新鮮だ。
 計算された笑顔よりずっといい、とテイラーは片頬をかすかに上げて要すを窺う。
「強い子じゃないと、潰してしまうんだ」
「……ふぅん」
 物理的な話ではないのだろう。彼の過去の恋人遍歴は何一つ聞いたことがないが、長く彼の下についている助手にでも聞けばわかるだろう。
 聞くかどうかは別にしても、だ。
「確かに……俺は利用したけどな……?ここまでを望んだわけじゃ……」
「望んで欲しかった!」
 アレクサンダーはやや乱暴にマグをテーブルの上に置くと、立ち上がってこちらに一歩、近づいた。それだけでもう彼の手が届く範囲だ。
「誰よりも、一番に頼られたかった。無理難題をふっかけられたかった……!それを叶えるためなら何でもやれた……!」 
 目の縁が興奮のためなのか、赤く染まっているのが見て取れた。強い視線はまだこちらを射貫いている。
 テイラーの中で、少しずつ答えが形になっていく。
 ただ、これが恋愛なのかと尋ねられると、どうにも答えられない。まるで果たし合いだ。
「……それがアレクの証明の仕方なんだ?」
「ああ……」
 愛情だとか、そういうものの。
「なるほどな」
 それは今までのテイラーの人間関係にはなかった考え方だった。それに、自分にはどうしてもそれが「愛の証」に変わるものだと思えないのだ。
 まるで、ただのゲームにされているような気がした。
 達成感を得られるのは、彼だけではないか?
「幻滅したか?」
 それなら、俺は何なんだ。
 テイラーはさらに眉間の皺を深くして、きろりとアレクサンダーをにらみつけた。
 彼を充足させるためのトロフィーになるつもりはない。
「どうだろうな……」
 思いのほか低く響いた声に自分で驚いたが、テイラーもマグを置いて立ち上がる。そして、至近距離からアレクサンダーの顔をしっかりと見据えて、こう続けた。
「アレクのことを好きになっても、きっと届かないんだなって思っただけだ」
 あまりに一人よがりだ、そう思った。完璧であることを取り繕って、ウォッカでそのストレスを発散して?それでも、こちらの望むものを与え続けたいというのだ。
 そのゲームの結末は考えなくてもすぐわかる。
「……その時点であんたは俺から興味を失うよ」
 間違いない。
 テイラーはそう断言して、話は終わりだ、とばかりにアレクサンダーの目の前で体を背けた。それから数歩歩いて居間を出る頃になっても否定の言葉がかけられることはなかった。
(愛が重いだって?笑わせるぜ)
 ただのエゴイストじゃないか、とテイラーは結論付けて、自室に戻ることにした。
「出ていくよ、今日がオフで良かった」
「テイラー……」
 もう遅い、と肩越しに振り返った顔はしっかりと笑うことができていたから自分を褒めてやりたい、そう思った。
 腹を立てているのは自分の間抜けさに対してだけだ。
 たぶん。
「危ないところだった」
「……え?」
 好きになりかけてた、という言葉は声には出さず、テイラーは肩をすくめるに留めておいた。
 これからも仕事場で何度となく顔を合わすのだから、これ以上こじれさせたくはない。
 荷物をまとめたらブレイクに電話を入れて、すぐに彼女の家に向かおう。
「今までありがとう、礼は改めて」
 酒でも奢るよ。
 我慢しないで飲めよ。
「……」
 嫌味が混じりはじめたことに気がついたのか、アレクサンダーは動揺から怒りに転じた表情で目を鋭く細めたが、テイラーはこちらも笑顔で受け止めると、すぐに視線を外しゲストルームへと向かった。
 アレクサンダーはそれ以上追ってくることもなく、怒りを表すわけでもなかった。
 そのかわり、見送りにも出てこなかった。
 だからテイラーは仕方なしにダイニングテーブルに置き手紙に鍵を添えて、そのまま黙って家を出たのだ。
 話をしようと促してから、二時間も経っていなかった。
 これで、しばらく続いた同居生活が終わりになるのはあっけない気もしたが、元より「友人関係」未満だったのだ。
 上手く行くことの方が珍しい話だったのかもしれない。
「……じゃあな」
 ぽつりと呟いた声はやけに寂しげに聞こえたが、テイラーはかぶりを振って愛車に荷物を無理矢理くくりつけ、わざと大きなエンジン音を立ててガレージを後にした。

   やあ、アレク。
   俺はここで過ごした毎日が楽しかった。
   それだけは伝えておくよ。

   色々ありがとう。

               T

 今頃、つまらない置き手紙はゴミ箱の中だろう。
 そんなことを考えながら、スピードを上げた。

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