同居AU 02

 快適過ぎる。
 ここはあまりにも、過ごしやすかった。

「……おはよ、アレク」
 甘やかしたがりの父親が年頃の娘の気を引こうとする時の常套手段がショッピングだとしても、ここまでではないだろう思わずにはいられない、というほどの買い物をモールでした。一応三度ほど、財布を取り出しかけたけれど、最後の一回は単なるポーズだった。
 ドクターは自分の持っているのと違う色のクレジットカードを持っていたし(黒いヤツだ!)、サンキュー!マジで?いいの?嬉しい!を繰り返しているうちにご機嫌になってくれたし、俺はとにかく財産のほとんどを失った直後だし、貯金もなかったので仕方がなかったのだ。
 まあ、いつかこの借りは返すつもり、と手帳には金額と一緒にメモしておいたから大丈夫だろう。ことの顛末を聞いたライアン(というかブレイクに話したら筒抜けになった)は、心底呆れた言わんばかりの表情で「スノーボードぐらいは自分で買えよ」とくたびれたように言っていたが。
 シーズンだったら買ってもらってたかも、と思いながらテイラーは軽く肩をすくめる程度にとどめておいた。チャンドラー課長からもらったお見舞い金は手つかずだし、それで買おうかな、なんて思っているなんて知られてはいけない。
 間違いなく、拳で頭を小突かれるだろう。ライアンはちょっとした古風な男なのだ。
「おはよう、テイラー」
 朝のはにかんだスマイル。テイラーはそんなアレクサンダーに、にんまり、と子供のようなスマイルを返して、眠いな、と呟くように言うと、そうだな、と相づち。どこも眠そうには見えないアレクサンダーの髪はすぐにもパーティーに行けそうなぐらい整っていたし、シャツには皺一つついていなかった。
 まだ朝の7時になったばかり、いったいいつから起きていたんだか知らないけれど、朝の爽やかさを邪魔しない程度の(それどころか際立たせる)コロンの香りもする。これが、毎日なのだから驚かされる。
 同居用に支度された部屋は、セミダブルのベッドと寮の時のベッドと同じぐらいの大きさのクローゼット(もちろん高さは十分、軍人だったら二人は眠れるだろう)、大きな窓が二つ、そのうち片方が出窓になっていてそこにはオーディオが据え付けられていた。彼は自室で勉強している時がほとんどだったので、馬鹿でかい液晶テレビも独り占めだった。NHLのシーズンが始まるまで置いておいて欲しいと強く願うほど。
「朝メシくらい、いる時は作ろっか?」
 今日までのところはそれはアレクサンダーの仕事だった。刑事という仕事柄毎朝この時間に食事を取れるわけではなかったけれど、ホワイトボードに起きる時間をメモしておけば、その時間に合わせた色んなものが支度されていた。たとえばサンドイッチの作り置きだとか、よく煮込んだポトフだとか。
 今日のように、これは夕飯でもいいだろう、と思うような豪華な朝食とか。
 ブレイク曰く、飛び級して医者になるような人は普通の人と時間の使い方が違うんでしょ、とのことだったけれど、俺に言わせれば、何らかの魔法だ。
 アラブカタブラだかビビディバビディブゥだか知らないけれど、呪文を唱えると何でも完璧に仕上がってくるに違いない。
 そうでなければ、絶対に、後でストレスになる。
 そう思わないか?
「そのうちにでも」
「うん、まあ、そこそこ作れるからさ」 
「それは楽しみだな」
 ふむふむ。
 やっぱり、これは本格的に接し方を考えた方が良さそうだ。把握していた以上に好意の質、量ともに援助を申し出てくれた親切な同僚の域を超えている。右から見ても左から見ても、おそらく間近から見ても彼は完璧に見えるように振る舞うつもりだ。
 そんなことは長く続かないし、きっと苛立ちが募って良い結果は生まない。せっかく「仲良く」やれているのだ、関係の悪化は避けたいことだし。
「アレクって兄弟多いって言ってたよな?」
「ああ、弟妹合わせて7人いる」
「7人!?」
 二人は母親が違うけど、と言って目を伏せたアレクサンダーの前に座った。きちんとセットされたダイニングテーブルの上の朝食は当然のように二人分、さらに彼の大きな手はトーストにバターを塗ってくれている。
 うーん、これは俺の知っている兄貴の行動ではないな、とテイラーは観察しながら続けた。
「じゃあさ。俺のことは、二番目か三番目ぐらいの弟だと思って接して欲しいんだけど」
「……ん?」
 弟になりたいとかじゃなくて、さ。
 ほら、その。
「弟の前なら、寝癖もそのままだろ?」
「ま、まあ、そうだな……」
 パンだって自分で焼けっていうだろうし、こんなにきれいなポーチドエッグにオランデーズソースはかけてくれないし、気取った葉っぱも飾らない。下に敷いてあるのは、アスパラ?何これ何時に起きて支度してたんだか。
「何だよ、これ、めっちゃ美味い!」
 ベーコンも最高!
「よかった」
 アレクサンダーはテイラーのそれより少し高い声を気にしているのか、わざと抑え気味に話しているようだ。どこまで格好つけたいのかは知らないが、テイラーとしては寝癖があった方が気が楽になるし、ソファでポップコーンのボールを抱えてごろごろしてくれてたっていっこうに構わないのだけれど。
「えっと、何の話だっけ?」
「弟?」
「そう、弟だよ。弟と同じように扱って欲しいと思ってさ。たとえば、ほら……使いっ走りに出すとか、えーっと……、気に入らなかったら小突いたりそういうのだよ」
 アレクサンダーは緩く頭を横に振ったが、言葉としては「わかった」と答えた。
 それはそれは、辛そうに。
「……アレク?」
 そして長い息をつくと、もう一度頭を横に振った。
「俺は……怖がらせてしまったのかな?」
「え?!」
 テイラーはアレクサンダーが何を言い出したのか意味がわからず、思わず腰を浮かせて立ち上がろうとするが、悲しい青い目がこちらをじっと見るので動けない。
「部屋に鍵をつけるよ。それなら、安心できるかな」
「ち、違う、俺はそういうことを言いたいんじゃなくて」
 ライアンにも言ったけど、もし取っ組み合いの喧嘩になったとしても、いくらアレクサンダーの方が上背があると言っても、負けるわけがないと思う。そういう訓練も受けているし、場数も違う。
 それに、アレクサンダーの好意が行きすぎたものになったとしても、寝込みを襲うような人間でないと信じている。
「……弟と同じようには扱えない」
「わかった、ごめん」
 だから、こういう時は素直に謝るべきだと思った。怖がってなんかない、とわかってもらえるように、テーブルの上に置かれた手の上に自分の手を重ね、一度ぎゅっと押さえつけた後、ぽんぽん、と軽く叩いて見せた。
「ヘイ、そんな顔するなって!」
 そしてすっかり顔色悪くして落ち込んだ様子のアレクサンダーの顔を覗き込むようにして笑いかける。自分としては居心地がいいのは確かで、単純にそれが彼の負担になるのを避けたいと思っただけなのだから。
「……鍵は?」
「いらないよ。燃えちまった家だって鍵は開けっ放しだった」
 気心の知れた連中しか住んでいなかったし、と続けるとアレクサンダーは目を大きく見開いた。
「本当に?」
「ああ」
 実家の方じゃ当たり前だ、と肩をすくめて見せたテイラーにアレクサンダーは軽く頭を振ったが、今度はさっきの時とは違ってその仕草に苦悩は感じられなかった。どちらかと言えば、驚いているというより、呆れているのだろう。
「よし、先に今日の分のハグだ」
 テイラーはそう言って、ナイフとフォークを一度戻し、立ち上がるとアレクサンダーの後ろに回った。そして、落ち込んだ友人を慰めるように(たぶん、間違っていない)、ぎゅっと前に腕を回して抱きしめた。肩口にあごを置いて、すぐ横の顔を見ながらにやりと笑う。
「最初からやり直しだ。おはよ、アレク」
 パチっと片目をつむった後、軽い頭突きをすれば「友情」っぽいだろう?と思ったのだけれど、アレクサンダーは真っ白い肌を耳まで赤くして、小さく唸った。
 あれ?
「……おはよう、テイラー」
 それでも何とか、完璧なスマイルを作って返事をくれたけれど、声は元の通りだ。変に低くするなよ、と笑ったら傷付けてしまうだろうから黙っているけれど。
「トースト、もう一枚くれる?」
「もちろん」
 テイラーは仕切り直しが上手く行ったことに安堵し、ゆっくりと美味しい朝食を楽しむことにした。これじゃあ新婚の幸せ太りしてきたライアンを笑えなくなりそうだ。
「何これ、最高!うまい!」
 サーモンのスープも、文句なしの絶品だったものだから。

   ***   ***   ***

「ドクターに会ったか?」
「え?今日来てるの?」
 課長に対する態度がぞんざい過ぎると今日も古風な男、ライアンに足を蹴飛ばされながら答えると、チャンドラー課長は気にもせず話を続ける。
「いや、俺が呼んだんだ。ビルの解体現場で古い遺体が出たって聞いて確認してもらおうかと」
「今日、俺達はモルグ行ってないんで」
 ライアンがかわりに答えたので、テイラーはうんうん、と二度ほど頷く。アレクサンダーは基本的にモルグ以外にはいない、と言っていい。
「それなんだが、ちょっと上の人間にも会わせたくて上に来てもらうよう頼んだんだが……」
 と、そこまで言ったところで言葉を切り、視線をテイラーとライアンからずっと遠くへと移した。軽く手を上げたところで、二人も後ろを振り返る。
「わーお!」
 ライアンは棒読みの歓声の後、ピューっと口笛を吹いた。テイラーも「同じく」とでも言うように続いた。殺人課の部屋の手前には交通課もあれば風紀課もある。女性警官の圧倒的数の多い部署で、事務方が詰めているオフィスもある。気の利かない男刑事達に囲まれている彼女達が、突然現れた長身+ブロンド+白衣+スタイリッシュなメガネ(初めて見た!)の美形に色めき立つのも無理はない。
 何らかの宗教かと思うぐらいに、周りを取り囲まれている。もちろん、それなりの距離を置いて、話しかけたりはいていないようだが、チラチラと投げる視線にハートマークが飛び交っているのが見えるようだ。
 テイラーもそれを凝視するわけにもいかなかったので、腰の上あたりで軽く手を振っておいた。
「わーーーお!」
 今度はライアンだけ。
 瞬間、とろけるような甘い微笑みを浮かべ、アレクサンダーはテイラーに笑いかけたのだ。ハートマークは一直線にこちらに飛んでくる。
「早まったな」
 ライアンは前を見たままそう言うが、テイラーには答えられず、チャンドラー課長は「女性陣にやっかまれないようにな」と笑った。
 やっかむも何も、とテイラーはいつもの膨れ面、になりそうだったのをどうにかこらえる。今朝は少しアレクサンダーをナーバスにさせてしまったので、気を遣ったのだ。
「やあ、すまないね、ドクター。わざわざ来てもらってしまって」
「いいんですよ」
 にこやかに握手をし合う様子を横目にテイラーはガラス張りのパーテーションの向こうに視線を投げる。気心の知れた事務方の女性一人が「いったいなにものなのよ」とテキストを送ってきているのに気づき、肩をすくめるほかない。
 俺だって昔はプロムキングだったのに、とは思うが悔しい気分にはなれなかった。何というか自分と彼とでは、種類が違うと思うのだ。外国籍ってこともあるが、何となく非日常感を漂わせている。
 ここでも、また、だ。
 本当にいつもこうなのか、どうなのか彼の7人もいるという兄弟に聞いてみたい。
「俺達は担当じゃないんだ、行くぞ」
「あ、うん」
 少し呆けていたらしいテイラーをライアンは小突くと、椅子の背にかけていたジャケットを着て出かける準備を始める。テイラーもホルスターに銃を差して、準備万端だ。
「声かけなくていいのか?」
「あ、うん。課長と話してるし……」
 セルフサービスがモットーの殺人課のコーヒーマシンが早速稼働して、淹れ立てがアレクサンダーの元に届けられる。資料を運んでくる女性も、担当の女性刑事もひっつめていたポニーテールをほどいて現れたではないか。
 なんだ、それ。
 テイラーは思わず眉間に皺が寄ったのを隠しきれなかった。睨むように見えたかも知れない。
 その瞬間に、運悪く、アレクサンダーがこちらを見た。
「あ」
 やばい、と思った瞬間、彼の表情が曇った。メガネの奥で目の表情は見えなかったが先ほどと同じスマイルは返って来ない。違う、と言うべきなのか、そういうつもりではなくてと言い訳すべきなのかはわからないけど、なぜか不満に思ってしまったのだ。
 ええと、誰に対してと聞かれると返事に困る。
 わからないのだ、テイラー自身でもさっぱり。ただ、何となく面白くないと思ったし、険しい表情になってしまったし、それをアレクサンダーに悟られてしまった。
「じゃあな、ドクター!また後で」
 仕方がないので、何ごともなかったように笑顔でこう言って手を振った。しかし、アレクサンダーは唇をきゅっと引き結んで、小さく会釈のようなものを返しただけだった。
 畜生、何だっていうんだ。
「面倒な男だな」
「何だよ、それ」
 ライアンはひょいと眉をあげてから、鈍感はお互い様かと笑った。
「え?鈍感て?」
「さあてね」
「教えろって!」
 何が?鈍感?
 俺が?アレクが?と、頭中を?マークでいっぱいにしたテイラーだったが、ライアンは種明かしする気もないらしく、車のキーをこちらに投げて寄越した。
「今日はおまえの番」
「わかってるけど、何がだよ!」
 苛立ちを隠さずぶつけてみてもライアンにはまったく効かない。笑いながら、拳をこちらの肩にぶつけてくるだけだ。
「ブレイクに聞けよ。ドクターにも会いたいって言ってるし」
「わかった。あれだ、あれやろう。ブレイクの好きなやつ」
「……ディナー会か?」
 ライアンが少し嫌そうな顔をしたのが、ブレイクのディナー会がかなり本格的だからだ。すべて料理は彼女の手作りで、もちろんテーブルの飾り付けとか、そういうのもパーフェクトだ。しかも彼女は美人で話上手だから招いた人はみんな彼女のことが大好きになってしまう。
 それがライアンには多少(というか、結構)気にくわないのだ、古風な男だから。
「それそれ」
「……わかった、聞いてみるよ」
「よし!」
 ブレイクのチョコチップクッキーは絶品で、ローストチキンもかなり、だ。
 きっとアレクサンダーも気に入ることだろう。テイラーもそこまで考えて、ん?と、小首をかしげる。前見て運転しろ、と後頭部を叩かれるが、何だかおかしい気がする。
 自分とアレクサンダーとライアンとブレイクのディナー会?
 それって、さ。
「テイ、おまえさあ」
「ん?」
「やっぱり、鈍感だよ」
 ライアンの声にテイラーは今度ばかりは反論出来ず、頬をふくらませるだけだった。こうなったらブレイクにとことん話を聞こう。彼女なら意地悪な相棒と違って、優しくわかりやすく教えてくれるはずだ。
(鈍感だなんて言われたのは、初めてだ……)
 アレクサンダーもそう思っているのだろうか?そうだとしたら、少しばかり不本意だと思った。

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