同居AU 01

タイトルは後で考えます!

 刑事、という職業柄。
 それが比較的安全だとか平和だとか言われているバンクーバーと言えども最悪の事態は幾度となく見てきた。殺人課の刑事ともなれば、どんなに仲の良い友達にだって語りたくない事件の一つや二つ、関わった経験はあるものだ。
「What……」
 だけれど幸い、三十年と少しの長くもない人生において自分自身に降りかかった悲劇というのは、ホッケーの試合直前に怪我したことぐらいだ。それもそれほど大事な試合だったわけではないし、自分がいなくても十分勝てた。
「the……」
 しかし、今、まさに。
 バンクーバー市警殺人課所属刑事テイラー・キッチュは生まれて初めての絶体絶命の危機に遭遇していた。
「Fuck……!!!」
 真っ赤に燃え上がる炎、それは空まで届くのではないのだろうかという勢いで、真っ黒い煙があたり一面に立ちこめていた。ほんの一時間前まではそこには住み慣れた、若者が将来の夢を語り合ったりするこぢんまりとしたフラットが建っていたはずだ。スカイブルーの壁が気恥ずかしくはあったけれど、いい加減若者という年を過ぎても去りがたく、一番家賃の高い部屋に移ることで家主に義理を果たしつつ、住み続けてた。
 宝物もいっぱいあった。一番の宝物である貯金を続けてようやく買うことの出来たバイク、トライアンフ・ボンネヴィルは今こうしてまたがっているから無事だ。しかし、スノーボードにウェアも去年新調したばかりだし(こんなだからなかなか金が貯まらない)、今まで撮った友人達との写真とか、月間検挙率ナンバーワンの表彰状も一応額に入れて飾ってあったし、卒業アルバムも(プロムキングだったので!)、故郷のママからの手紙も、ホッケーの道具も全部全部、燃えてしまった。
「……ヘイ、テイラー!おまえん家の方だと思って見に来たんだ……けど、大丈夫じゃないな……」
 ぼう然と立ち尽くすしか出来ないテイラーに声をかけたのは二つ上の先輩、スコット・ポーターだ。彼とは新人の頃、寮が同室で色々面倒を見てもらっていた兄のような存在だ。彼の所属は行方不明者捜査課だったけれど、無線か何かで聞いて駆けつけてくれたのだろう。同情半分、驚き半分の表情でこちらを気づかう。肩を抱かれるがままに体重を預けるが言葉が出ない。だってあそこには何もかもがあったのだ、思い出も栄光も、お気に入りのTシャツも。
「残念だな……」
 こくり、と頷くのが精いっぱいだ。
「頼れる人はいるか?」
 気心が知れていると言えばこのスコットの名を上げるだろう。しかし彼はキツラノの外れに大家族で住んでいるので、厄介になるわけにはいかない。殺人課の刑事は生活が不規則だ、スコットとシフトも合わないし、死体を検分した後で人様の家に上がりこむのは現実的でないと思ったのだ。
 刑事としての相棒、ライアン・レイノルズはバンクーバーで一番の美人妻ブレイクとの新婚生活を謳歌しているさなかだ。ブレイクはOKをくれるに違いないが(旧知だし、仲も良い)ライアンは嫌がるに決まっている。それにテイラーとしても仕事中みっちり彼と二人きりで過ごしているのに、オフタイムまで顔をつきあわせたくはないというのが本音だ。
 よし、思ったより冷静な判断が出来るぞ、と自分自身を褒めてやりながら、うん、ともう一度頷いておいた。少しでも眉根を寄せて困った風な表情を少しでも見せると、うちへ来いと言い出すに決まっているのだ、この兄貴分は。
「……事情聴取が終わるまで一緒にいてやるから。みな、無事が確認できてるから安心していいぞ?」
 良かった、それは本当に良かった。
 ラッキーだったな、という声にテイラーはぎゅっと目をつむった。そうでもしていないと、涙がこぼれてしまいそうだったからだ。スコットはわかっているよ、とでも言うように手の平をぽんぽんと頭の上で跳ねさせると、座るように促した。テイラーはバイクを彼の手に預け、ようやく脱力したようにその場にへたり込んでしまった。
 これから、どうすればいいのか。
 明日は何を着て出勤すればいいのか。
 それを考えなければならないのに上手く頭が回ってくれない。ただただ灰になっていく思い出を見つめながら、途方にくれるしかなかった。
 こんなんじゃ刑事失格だな、と思いながら。

   ***   ***   ***

 人生で一番の悲劇が起きてから、三日後。
 結局モーテルで寝たきり、のようになって悲しみと喪失感をやり過ごしたテイラーはようやく職場復帰を果たした。殺人課課長のカイル・チャンドラーはもう少しの猶予をくれていたが、ライアンを一人で行動させるのは申し訳なかったので、どうにかこうにか出てきた、というわけだ。彼やスコットからの借り物で当面の着るものは確保出来たが、やはり落ち着かない。
 二人の方がよほどまともなセンスをしていたのだとしても、お気に入りのTシャツでないというだけでテンションマイナス30%なのだ。
「なあ、ライアン」
「ん?」
 しかし、テイラーは三日の間、今後のことを考え続けて一つの結論に達していた。
「……自分に向けられている好意をわかってて協力をお願いするのは……やっぱり、まずいかな?」
 今は署で預かってもらっている宝物はガレージのない場所には置いておけない。しかしながら今の貯金で契約出来そうなフラットの候補のどこにもガレージはなかった。それに、若手警官用の寮も埋まっている。
 だからテイラーは少しばかり色々なことに妥協することに決めたのだ。これ以上安モーテルにいたら肌のかゆみに耐えきれなくなりそうだし。
「もっと簡単に言ってみろよ」
 目を細めたライアンが嫌そうにそう言うと、テイラーは舌をぺろりと出して、
「俺のこと好きな奴を利用してもいいかな?」
 あっけらかんと言い直した。
「おまえの得意技じゃないの」
「人聞き悪いこと言うなよ」
「上目遣いで、白い歯見せて、お願いってやれば何でもことが通ると思ってるくせに」
「……おまえだってウィンクで片づけるじゃないか」
 歯切れが悪くなったのは、多少心当たりがなくもない、とテイラー自身、自覚しているからだ。相手を選ぶがそうすることで頼んでおいた調べ物が早く上がったり、揚げたての方のドーナツをもらえたり、得することは多い。ライアンには少しも効かないが、スコットなら頼み事のほとんどにイエスと答えてくれる。だから、無茶は言えないという良心もきちんと持ち合わせているのだし、と言い訳しようとするとライアンは冷たい目でこちらを一瞥すると、腕を組んでお説教するように言った。
「俺は他人様、おまえは身内。たちの悪さが違う」
「似たようなもんだろ!」
「全然、違う」
 確かに。ライアンの笑顔もウィンクも愛想の良さも、捜査中に警察の印象を良くするような時に発揮される武器のようなものだった。テイラーの場合は、多少の打算も大いに含まれていたりする。だから、人を選んでするのだ。
「まあ、貞操にだけは気をつけろよ」
 そう、テイラーの言っている「俺のこと好きな奴」と言うのは同性だった。少し年上の法医学博士で、難易度の高い検死や捜査協力をお願いしているブリティッシュ・コロンビア大学の教授、アレクサンダー・スカルスガルドだ。長身、ブロンド、アイスブルーの瞳、若き(業界では)美形天才博士という女性が群がる要素を盛れるだけ盛ってみたような男だったが、大学の研究室かモルグでほとんどの時間を過ごすため、一般の警察官達は彼の存在をほとんど知らない。
 知っていたらきっと大騒ぎだ、とはテイラーも思う。初めて顔を合わせた時に、それを素直に伝えた時にずいぶんと驚かれ、ずいぶんと喜ばれてしまった。最初は姓が読めなくて、「ドクター?プロフェッサー?ええと……」とどぎまぎしていたら、「アレクで」と言ってくれたのだ。
 結局のところ、皆と同じように「ドクター」と呼ぶことの方が多いが、時折、周囲に助手等がいない時に限って「アレク」と呼んでやったりもする。
報告書が早く欲しい時などに。ライアンは軽く存在を無視されているので、モルグに来ることはほとんどなくなった。
 ライアンが貞操云々の話を持ち出すのはこのあたりからだ。テイラーとしては常駐してる検死医でも出来るようなことでも率先して調べてくれるので助かっているし、電話一本で呼び出せる気軽さも大いに助かっている。視線や態度から好意はびしびしと感じてはいるが、何を言うわけでもするわけでもないので、こういう時はつい、頼ってしまおうと思ってしまうのだ。
 それを「利用」と言うのは十分承知している。
「俺の腕っ節知ってるだろ?相手は医者だし、喧嘩もしたことないよ」
「どーだかな」
「……だってさ、ドクターの家、ウエスト・バンクーバーなんだぜ?」
 海を見下ろす高台の高級住宅地にある一軒家だ。もちろん、ガレージには鍵がかかるし、リモコンで全自動開閉だ。ダウンタウンにある署までもバイクで10分ほどで着くし最高の立地だ。まだ中に入ったことはなかったけれど、間違いなく客間もあるような間取りだろうから、きっとしばらくは泊めてくれるはずだ。
「出たよ」
 このナイスアイデアに相棒は呆れかえって両手を上げての降参のポーズだ。
「なんだよ!」
「お金持ち大好きテイラーちゃんの悪い癖だ」
「……ブレイクに言いつけてやる……!」
「ブレイクも知ってるさ」
 二の句がつげないのはライアンの言葉に同意しているわけではない。嫌いか好きかで言えば確かに好きだけれど。
「おねだりもほどほどにしとけよ?ギブ&テイクの法則は結構マジで大事だぞ?」
「しばらく泊めてもらうだけだよ」
 どうだか!といっそう呆れたライアンを置いて、テイラーは一人でモルグへと向かうことにした。授業が全部終わってからの夕方、遅い時間からでも、多忙な先生は呼べば来てくれるのだ。
 ほらな、頼らない手はないんだって。
 テイラーは楽観的にそう考え、地下へ向かうエレベーターのボタンを押した。

   ***   ***   ***

 少し、軽く考えすぎていたことは反省した。
 うん。
 好意というのは悪意よりわかりやすい分、油断しがちだ。テイラーは足が浮くほどに強く強く抱きしめられるという、初めての経験をした。そして、そのままの格好で耳元で苦しそうに掠れた声で名前を呼び続けられるのも、初めてのことだった。
 どうやら、こちらとの電話を切った後で火事の顛末を断片的な情報で知ったドクター・スカルスガルドが、色々想像して感極まってしまったのだろうけど、無事なのはわかっていることだったはずなのに、ここまで取り乱すとは思ってもいなかった。
 ヘイ、イージーイージー。
「アレク……!だ、大丈夫だから!」
 落ち着いて、と声をかけてから二分ぐらいやはりそのままで、ようやく力を抜いてもらった時には顔が真っ赤になってしまっていた。照れたとか感動したからとかではなくて、体を長い間強く圧迫されていたからだ。これは医者の筋力ではないな、と認識を改める必要がありそうだ。
「……えっと、まあ、そういうわけで……」
 息を整えて、赤くなった頬を手の平でこすってごまかしながら、テイラーはアレクサンダーを見上げた。十分に長身の部類のテイラーでも首が疲れると感じるほど見上げなくてはならないところに彼の顔があるからだ。
 ライアンの言うところの、上目使い。
「全部なくなっちゃってさ……」
 下唇を噛んだのはわざとではなくて、スノーボードのウェアのことを考えて悲しくなったからだ。そうだ、彼の家からは二十分も行けばゲレンデに着くんだぞ、冬までにまた買わないと。
「それで……、ドクターにこんなこと頼むのは……筋違いかも知れないんだけど……」
 アレクサンダーは首を横にふり、話して、と先を促した。
「しばらくの間……居候させてもらえないかな……?必要なものを買い揃えて、新しい部屋が見つかるまでで……」
 あと、バイクはガレージに入れさせて欲しい。
 慌てて付け加えたテイラーにアレクサンダーはすぐに返事をしなかった。さすがに図々しかったかな、と内心焦りつつ、テイラーは唇を舐めた。
「一週間でもいいんだ、モーテルが……苦手で、正直なところ困ってるんだ」
 そして、少し哀れを誘うような台詞を口にして、今度は目を伏せた。後は様子待ちだ、何ならバイクだけでもいいのだ、置いてもらえるのならそれで。
「テイラー」
「……アレク?」
 テイラー、ともう一度くり返したアレクサンダーは長い腕でもう一度こちらを抱きしめ、その格好のままため息をついた。
「駄目?」
「……いや、そうじゃない。もちろん、オーケイだ。部屋も余ってる」
「うん」
「ただ、その……」
「ん?」
「……一日、一度、こうさせてくれたら……」
 テイラーはあまりに慎ましやかなな願いに吹き出しそうになるのをこらえながら、イエス、と答えた。減るものではないし、元よりハグは大安売りしている方だ。
「それから、もう一つ……」
「うん。ルールは守るよ、部屋も散らかさない」
「……いや、その……そうではなくて……」
 かわいそうな死体が二、三体そのまま寝かせられているような場所でチークダンスを続ける気はなかったのだけれど、とりあえず今日のベッドのためにも、少しの我慢だ。
「新しい服を……贈っても?」
 それ、レイノルズ刑事の……と語尾が濁ったので、テイラーは少し体を離し(手はアレクサンダーの腰に添えたままだ)、にっこりと微笑んで、大きく頷いた。
「もちろん!この借りはいつか返すけど、すげえ、嬉しい!俺が選んでもいい?」
「休みの日に買いに行こう」
「ヤッター!マジ嬉しい!ありがとう、アレク!」
 その場で飛び跳ねて喜ぶテイラーにアレクサンダーも口元に笑みを浮かべる。
「これで何とか……乗り越えられそうだよ……」
「……俺で出来ることなら何でもするから……」
 良かった、テイラー。
 君が無事で。
「……ありがと」
 真剣な言葉は茶化すことはせず、テイラーはしっかりそれを受け止めて、お礼の気持ちをこめてアレクサンダーの頬にキスを送った。
 親愛なる、ほら、ケベック州の奴らが普通にやってるあれと一緒だよ。
 フランス風のあれ。
「………………」
 しかし、アレクサンダーはそれと同意とは取らなかったようで、今まで見たこともないような、優しくて甘くて、年頃の女性ならみんな当てられて腰砕けになってしまうのではないだろうかと思うほどのフェロモンたっぷりの笑みを返してくれた。
 おおっと、とこちらも足を一歩分、下げてしまったぐらいの威力だ。
「じゃあ、そういうことで、……ええと、これからもよろしく」
 テイラーはそれをごまかすために、片目をパチンとつむって、完全にドクターと刑事の距離を取り戻した。
「あと、少しで仕事片付くから、待っててくれる?」
「ああ」
「じゃ、また後で」
 テイラーはやっぱり早まったような気がすると思いながらも、次の休みに買ってもらえる服は何日分ぐらいだろうな、ということを考えずにはいられなかった。10ドルのTシャツだって気に入れば何度だって着るタイプではあったし、あの感じだと、ジーンズ2本は買ってくれそうだ。そう、このジーンズもライアンのだからだ。
 お金持ち大好きテイラーちゃん、というのはやはり否定できないかもしれないが、それはそれ、これはこれだ。
 彼がそうしたいというのだから、その願いを叶えてあげないと。

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